2018
7
Jun

, 日本, 東北, 歴史

『世界遺産 中尊寺金色堂』

(新緑の時期の中尊寺金色堂)

中尊寺金色堂。岩手県平泉にある世界遺産。

 

今年のGWに行った東北旅の最初に訪れた場所。私にとっては2度目の平泉。

 

2017年の秋に訪れた際の写真と共に載せてみます。今回は写真多めです。

 

(紅葉の時期の中尊寺金色堂)

 

中尊寺金色堂は東北の地にとって非常に意味のある場所。

 

今から約900年前、1124年に奥州藤原氏の初代、藤原清衡(ふじわらのきよひら)によって建立されたお寺。

 

(境内の中の樹々)

 

(中尊寺金色堂へ向かう参道)

 

奥州藤原氏の初代、藤原清衡。

 

清衡が辿った壮絶な人生がなければ、中尊寺金色堂が建立されることはなかった。

 

(水面と紅葉)

 

(紅葉と中尊寺金色堂)

清衡は、父、母、妻、子を陸奥の国を巡る争いで喪っている。

 

平泉がある地域一帯はもともと、大和の国と陸奥の国(えみしの国)の境界線でもあった。

 

歴史上、何度も何度も争いが繰り返された土地。

 

(藤原清衡。東北に伝わる踊り。秋に訪れた時、たまたま金色堂のそばで踊っていました)

 

(月夜)

 

もう、争いはたくさんだと、清衡は父(藤原経清)の意志を継ぎ「仏教都市平泉」をつくることにした。

 

そして建立されたのが、中尊寺金色堂。

 

(ライトアップされた中尊寺金色堂)

藤原清衡は中尊寺金色堂の建立に際して、このような言葉を残している。

 

「この鐘の音はあらゆる世界に響きわたり、誰にでも平等に苦悩を去って、安泰を与えてくれる。攻めてきた都の軍隊も、蝦夷とさげすまれ攻められたこの地の人たちも、戦いに倒れた人は昔から今までどれくらいあっただろうか。いや、人間だけではない。動物や鳥や魚や貝も、このみちのくにあっては生活のため、都への貢ぎもののために数えきれない命が、今も犠牲になっている。その魂はみな次の世界に旅立っていったが、朽ちた骨は今なおこの地の塵となって、うらみをのこしている。鐘の声が大地を響かせ動かす毎に、心ならずも命を落とした霊魂を浄土に導いてくれますように。」

「口語訳/平泉文化遺産センター館長 大矢邦宣」

 

(平泉で撮った満月)

 

極楽浄土、平和への祈りが込められた、建立願文。

 

平泉が世界遺産に登録されるにあたって、当初、この建立願文が障害になっていたと言われている。

 

平泉が世界遺産に登録されたのは、2011年6月。

 

東日本大震災が東北を襲ったのが、2011年3月。

 

どちらも2011年。

 

(水面に映る紅葉。中尊寺金色堂そばの池)

 

そして、平泉が世界遺産に登録された背景には、東日本大震災があったと言われている。

 

経緯を説明するには、藤原清衡の人生を少し詳しく書かないと伝わらない気がするので、またの機会に書きたいと思います。

 

なぜ、中尊寺金色堂、平泉は世界遺産に登録されたのか。

 

どこかで書きたいと思います。

 

今回はここまでにします。

 

では。

(水面に映る紅葉。中尊寺金色堂そばの池)

 

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