Profile

金子素直。20歳の頃、あることをきっかけに写真が好きになる。以来、基本的に独学で写真を撮り続けている。好きな場所:富士山・屋久島・東北・上高地・熊野・水の綺麗な場所。2017年以降、急速に東北に惹かれて発信をしています。東北の発信をするようになって気づいたこと。東北のことを強く発信している人がほぼいないということ。

私がこのブログに東北のことを書き始めてから「エミシ・歴史」等の特定のキーワードでGoogel検索の上位に出てくるようになりました。東北のことを誰も発信しないのなら私が発信したい。調べれば調べるほど訪れれば訪れるほど強く惹かれていきます。私の写真や文章表現の力は東北を発信するためにあるのかもしれない。そんな風にも感じることもあります。

東北の発信にどれほどの意味があるのか今はまだ分かりません。ただきっと何か大きな意味がある。人生のひとつのテーマとしてしばらく追いかけてみます。もし東北の記事を読んで何か感じるものがあれば、私宛にメッセージいただけると非常に嬉しいです。Facebookで私の名前を検索すれば出てきます。とても励みになるので良ければお気軽にメッセージください。よろしくお願い致します。

■写真のこと

見てくれた人の力になるような写真を撮りたいと思っています。私が写真を始めたきっかけは、ある一人の人との出会いでした。当時大学三年。まだ一眼レフを持っていない頃の話。私は夏休みを利用して長野の上高地のペンションにバイトしに行きました。昼の休憩時間にコンパクトカメラで何気なく撮っていた写真水や緑の写真。その写真をたまたまペンションで一緒に働いていた一人の人に見てもらったら、こちらがびっくりするくらいに喜んで気に入ってくれました。その時私は“もしかしたら自分の中に写真の力があるのかもしれない”と気づきました。

そして翌年の夏休み、私は富士山頂でのバイトが決まり、オリンパスの中古の一眼レフを買いました。どうやって撮るのかもほぼ分からない。でも、富士山頂で一ヶ月過ごすのだから、しっかりしたカメラを持っていきたくて思い切ってカメラを買いました。待ちに待った一ヶ月間の富士山頂生活。圧倒的な光景が目の前に存在しました。言葉にならないほどに美しい世界。見渡す限り空と雲と太陽しかない世界。まるでラピュタの世界に迷い込んだかのようでした。

私は夢中でシャッターを切っていました。設定の仕方も分からないままとにかく撮っていました。今見返してみると、ぶれている写真もたくさんあります。それでも好きな写真もたくさん撮れました。今でも私の一番のお気に入りの写真はその時に撮った夕焼けの写真です。一か月間富士山頂で写真を撮ってみて、私の中にあった写真に対する漠然とした想いは確信に変わりました。

以来、10年以上撮り続けています。私が写真に対して抱く想いは変わっていません。私は写真を撮ることが好きです。そして、それ以上に私の写真を見て喜んでくれている人を見るのが好きです。時にこちらがビックリするほどに私の写真に感動してくださる方がいます。そんな人と出会った時、あぁ良かった、もう少し頑張ってみようという気持ちになります。

表現としての写真。私は自分のことを表現者であると思っています。写真家であり表現者。表現の手段として私は写真を使います。時に言葉を使うこともあります。このホームページに載っている写真は全て私が訪れて目でみた光景です。撮った写真は私だけが持っていても意味がない。私が撮った写真は私以外の人の目に触れて初めて意味を持つ。写真を撮ることは自分のためであり、同時に人のためでもあると思っています。

私の写真を必要としている人がいるかもしれない。私の写真が誰かの力となれるのなら、これほど嬉しいことはありません。アートや表現とは誰かのためになって初めて大きな意味を持つ。私はそう思っております。私自身まだまだ発信が少ないので、このホームページを通じて色々と表現していきたいと思っております。最後までお読みいただきありがとうございました。