もののけ姫のモデルとなった屋久島
映画『もののけ姫』の主人公アシタカのモデルはエミシとされている。
ご存知だろうか。パンフレットにはこのように書かれていた。(本から調べました)
『大和の王朝との戦いに破れ、北の地の果てに隠れ住むエミシ一族の数少ない若者であり、一族の長となるべき少年。王家の血を受け継ぐ気品と、狩りで鍛えた秀でた技の持ち主。』
エミシとはかつて“日本”の主に東北地方に住んでいた人々の総称。縄文先住民の血を引く人々や大和朝廷に従わない人々もエミシに含まれる。(詳細は以下の記事を参照)
もののけ姫の中にエミシに関する2つのセリフが登場する。
大和との戦さに敗れこの地にひそんでから五百有余年。
今や大和の王の力はなく、将軍どもの牙も折れたと聞く。
だが我が一族の血もまた衰えたこの時に
一族の長となるべき若者が西へ旅立つのは定めかもしれぬ
(補足)エミシの歴史を追いかけていくと、もともと出雲のあたりに住んでいたが大和との戦に破れ土地を奪われ、東北の地に逃れたという歴史がある
そなたを見ていると古い書に伝わる、いにしえの民を思い出す。
東の果てにアカシシにまたがり石のヤジリを使う勇壮なるエミシの一族なりとな。
(補足)アシタカのモデルとなったエミシの故郷は青森の下北半島とされている
宮崎駿はなぜ、エミシの末裔であるアシタカを主人公に選んだのか。もののけ姫、アシタカの姿を通して何を伝えたかったのか。
アシタカのセリフの中に次のような言葉がある。
『森と人間が争わずに済む道はないのか?ホントにもう止められないのか?』
『森とタタラ場、双方生きる道はないのか?』
アシタカは常に、森(自然界)と人間とが調和して生きる道を模索している。可能な限り争わずに共存する道。
東北に関するたくさんの本を読んだ上で私がとらえているエミシの姿というものは、まさにアシタカのような人。
強くて、優しくて、器が大きくて、自然を愛し、人を愛し、争いではなく、調和を求める人。
美化しすぎなのかもしれないけれども、イメージとしてはこのような感じ。争いたくはないが、攻撃してくる以上、仕方なく殺生を行う。
映画の冒頭のシーンでアシタカが、村娘を守るためにタタリ神を射殺すシーンや、タタラ場に向かう途中の村で殺されそうになっている人を救うためにやむを得ず侍を殺すシーンなどが、まさにそうだと思う。
アシタカのこのような姿を見て”鬼だ…”と、侍が語るシーンもある。
自ら望んで仕掛けることはないが、大切な何かを守るために心を鬼にして戦う。優しいからこそ、時に怖いくらいに強くなる。
まるで、アテルイのような姿だと感じる。アテルイとは、エミシであり、西暦800年前後の日本の東北地方(岩手県の胆沢)に実在した人物。
黄金等を狙い、理不尽に東北に攻め寄せてくる大和に対して、ただ従うのではなく抵抗するという歴史を作った、東北の歴史にとって非常に大切な人物。
アテルイは優しく、そして圧倒的に強かった。(詳細は以下の記事を参照)
強さ、優しさ、統率力。なぜ私が、東北やエミシにこれほどまでに惹かれるかというと、このあたりにも理由があるように感じる。憧れのようなもの。純粋に”かっこいい”と感じる。
宮崎駿が映画『もののけ姫』の中で、あえて、エミシの末裔であるアシタカを主人公として選び表現しようとしたこと。
己の信じるものを守るために時に心を鬼にしてでも強くあれということ。
誰にでも優しくあれということ。
見返りを求めることなく人の力となること。
自らの運命を悲観せず努力して道を切り開けということ。
どんな状況でも諦めることなく今できる最善を尽くすこと。
人として大切なことの根本のように思う。アシタカにはそれが表れている。そして、アシタカの背景にあるエミシの姿にも。
国民的な大ヒット映画『もののけ姫』。アシタカがエミシであると認識している人は少ないと思う。だが、自らの運命に立ち向かうアシタカの姿をみて、影響を受けている人は(無意識的にでも)少なくないはずである。
アシタカの中にはエミシがある。このことに気づいてくれる人が増えたら嬉しい。そして、東北やエミシに対して興味を持ってくれる人が増えたらなお嬉しい。
ということで、今回は、エミシを切り口に、もののけ姫、アシタカについて書きました。エミシに関してはまだ私自身、分からないことだらけですが、まだまだ書いていきたいと思います。
(完)
おまけ
もののけ姫のモデルともなった屋久島の写真を何枚か載せます。
私がこれだけ屋久島に惹かれるの(もう5回旅している)は、もののけ姫の影響もあります。
良かったらご覧ください。
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