2019年7月の東北旅の初日に偶然出逢った景色。800年以上の時を超えて現代に蘇った奇跡のハス、通称、中尊寺ハス。耳にしたことがない方も多いかと思います。写真と共に記述します。
現代に蘇った中尊寺ハス
中尊寺ハスと呼ばれるハスがある。別名、泰衡(やすひら)ハスとも呼ばれる古代ハス。泰衡とは藤原泰衡をさす。平安時代末期(1080-1189年)の約100年間にわたり栄華を誇った奥州藤原氏、最後の当主の名前。
なぜ中尊寺ハス、泰衡ハスと呼ばれるのか。それは、藤原泰衡の首が入っていた首桶に一緒に入っていたハスの種を蘇らせたことに由来する。
昭和25年(1950年)に行われた平泉中尊寺金色堂の発掘調査の際、奥州藤原氏四代泰衡の首桶からハスの種が発見された。(藤原氏の初代~4代までの遺体はミイラとなって中尊寺金色堂に安置されている)
何とか花を咲かせることができないかと、種の一部が、ハスの権威とされていた大賀一郎博士に託され、最終的に博士の門弟によって発芽に成功し平成10年(1997年)、実に約800年ぶりに花を咲かせた。
800年の時を超えて現代に花を咲かせた、まさに、奇跡のハス。今では中尊寺金色堂をはじめ、日本の数か所でみることができる。私がたまたま目にすることができたのは、福島県国見町の古戦場に咲くものだった。
古戦場に咲き誇る中尊寺ハス
阿津賀志山防塁(あつかしやまぼうるい) と呼ばれる史跡がある。福島県国見町にある平安末期の防塁跡。 源頼朝と奥州藤原氏の戦い (奥州合戦)で、奥州藤原氏が滅ぼされた1189年の阿津賀志山の戦いの主戦場。両軍合わせ数万人がこの地で戦った。
攻め寄せる頼朝軍を迎え撃つため、奥州藤原氏は巨大な防塁(土でつくった防壁のようなもの)を築いた。全長4kmにも及ぶ、巨大な防塁。 800年の時を経た今でもその跡をみることができる。
目的はこの古戦場を訪れることだった。本で読んだことのある、東北の歴史にとって大切な場所に訪れることができて嬉しかった。
しかし、後から思えば、きっと本当の目的地は中尊寺ハスの方にあったのだと分かる。実際に訪れるまでは近くに中尊寺ハスが咲いているとは知らなかった。「中尊寺ハス」と書かれたのぼりを見た時、偶然ではない何かを感じがした。
特に急いでいることもなかったから、見に行った。古戦場のすぐそばに咲いていた。時間はまだ朝の7時頃。まわりには自分しかいない。なんと贅沢な空間か。まさかこんなところで、藤原泰衡が残した古代ハスの花をみることができるとは思わなかった。
1時間ほど、ゆっくり写真を撮った。 思いがけず出会った魅力的な被写体。大好きな東北の地での撮影。本当に楽しく嬉しい時間だった。
なぜ、奥州藤原氏の最後の当主、泰衡の首と一緒にハスの種が一緒に入っていたのか。なぜ、その種が現代に蘇ったものを今このタイミングで自分が目にしているのか。 最後、私が感じたことをまとめます。
ハスの花に託された東北の想い
もし、泰衡の首桶にハスの種が入っていなければ、現代に古代ハスが蘇ることもなく、 福島の国見町で 私がハスの写真を撮ることもなかった。だが、事実としてハスは現代に蘇り、美しく咲き誇り、私の心を動かした。
ハスの種を入れたことによって、藤原泰衡が、泰衡の周りにいた人たちが後世に託したかったものとは何か。ハスの花はもきっと何かを語りかけている。はからずも、源頼朝に攻められたことにより、栄華を誇った奥州藤原氏は100年足らずで滅んでしまった。
このあたりに、エミシの想いというようなものがあるような気がする。東北全体に流れている、エミシの意志のようなもの。ハスの花が持つ美しさはその象徴。
力や効率だけではなくて、美しさ、優しさ、泥臭さ、温かさ、潔さ、清らかさ、といったようなものこそ大切であるということ。ハスの花は、そんなことを語りかけてくれているような気がする。
始まったばかりの東北旅の初日から、本当に素晴らしいものを見ることができた。私の東北旅はだいたいの場合において、ラッキーだと感じること、タイミングが良すぎると感じることが多く発生する。
今回の中尊寺ハスとの出逢いもその一つだったように思う。東北が何かを伝えようとしてくれている。けっして強く主張することはないけれど、東北の想いを発信してくれる誰かを待っている。そんな風に感じる。
だからこそ、私が東北を旅して写真を撮り、感じたことを本で得た東北の知識と共に、エミシの想いを感じつつ発信していくことに意味があるように思う。
写真と文章で東北を発信することは、今のところ、おそらく自分にしかできないこと。東北に関して書きたいことはまだまだあるので、また色々と書いていきたいと思います。
今回の東北旅では、不思議だとしかいえないようなタイミングが何度か重なった。旅をしているその時は「なんで今日に限ってこんなことになっているんだろうか」と、一時的に残念だと感じることもあったけれど、結果的にそのおかげで、遠回りして別な場所に行くことになり、ずっと行きたかった場所に行くことができた。
今回書いたことは、旅が始まってから実質2時間くらいの出来事。このあと、白石城、仙台城(青葉城)、平泉、水沢(後藤新平記念館)、鹿角、九戸城、奥入瀬渓流、十和田湖、横手、仙台、という風に旅が続い行く。(このことはまた別の記事で書きたいと思います)
しばらく東北の記事の更新が滞ってしまいましたが、また発信を再開したいと思っております。よろしければご覧いただければと思います。
【完】
おまけ
ハスの葉っぱに水が溜まって、不思議な感じだったのでたくさん撮ってみました。一部載せてみます。
はじめまして。
カリフォルニアで水墨画の講師をしています美千代ともうします。
日本の花鳥を題材に絵を描くことがほとんどですので、ウエブ上で写真をみて動植物の構造など勉強してから描くようにしています。
今回、渡り鳥が水面にいる写真を探していたら偶然、かねこ様のサイトにたどりつきました。
私は関西出身なので京都、奈良を見て育ちました。東北にも、歴史ある美しい自然が残っている事を知りました。
四季のないサンディエゴに住んですでに27年。。。レスキューした猫が10匹いますので、(みんな健康に問題あり、日々の健康管理が必要です)日本に帰国訪問も15年ほどしていません。
砂漠気候ですから雨は一年で冬に少ししか降らないので味気ない土地です。植物は給水システムを庭に作って定期的に水をあげないとほとんど育ちません。植物や鳥や昆虫の種類も日本に比べるとほんとうに限られたものしかお目にかかれません。関西に家族がいますが、写真を頼んでもピンボケだったり遠目すぎたりで役に立ちません。
そういうわけで、日本についての勉強はウエブサイトに載せられている日本で撮られた写真が唯一の頼りです。
ちなみに、墨絵を教えている生徒たちは、州立のコミュニティカレッジに生涯教育の一環で学んでいる人々で、授業料は無料です。前の学期は4クラスあり100人ほどの生徒数でした。初心者で筆をにぎったことがない、という人々がほとんどですが、継続してずっと学んでいる生徒も多いです。日本人の生徒さんも少しおられます。 コロナ騒動以来オンラインのズームでしばらくはモニター経由での授業です。
当初、次の課題マガモやカモ類を描こうと漠然と決めていたのですが、かねこ様の 水の世界「出流原 弁天池」
の水面のお写真がとても素晴らしいと感動し、ぜひ描いてみたいと思いました。
お写真の感じを参考に絵を描かせていただいてもかまわないでしょうか? もしよろしかったら、その旨、お返事ください。
Eメールでコンタクトをとりたかったのですがサイトに載っていなかったので、恐縮ながらこの場を借りてご連絡させていただきました。私のEメールはフォームで書いておりますので、そちらにお返事いただけますと幸いです。
2020年の4月以来新しい写真が載せられていませんが、ご健康であられる事をお祈りいたしております。
美千代