(平泉でみた鬼剣舞)
知られざる東北の歴史
東北には現代に受け継がれる輝かしい歴史がある
今日紹介するのは東北の英雄アテルイ(阿弖流為)
私が東北に強く惹かれるきっかけとなった人物
今から1200年ほど前の東北に実在した人物
(十和田湖)
東北の歴史を調べていくと、日本との関係の中である構図がみえてくる
攻め寄せる日本の中心勢力 vs 立ち向かう東北勢力という構図
理不尽に対抗する、東北の抵抗の歴史
その最初のきっかけを作ったのがアテルイであるといっても過言ではない
アテルイに始まり、奥州藤原氏、南部藩九戸政実、会津藩へと受け継がれていく東北の抵抗の歴史
今回はアテルイと東北の抵抗の歴史にフォーカスしていきます
アテルイとは
一文引用します
桓武天皇の延暦年間に、胆沢(現在の岩手県胆沢地方)エミシが、10倍以上の朝廷軍を向こうに回して、互角以上に戦い、大勝利をあげた戦いは日本列島でも最大の先住民抵抗戦争であった。この戦争を指導したのが、胆沢エミシの族長、アテルイであり、モレであった。
(「蝦夷・アテルイの戦い」久慈力著,p.160)
この言葉にある通り、アテルイとは大和朝廷とエミシ(東北勢)の戦いにおいて、リーダーを務め、数で勝る大和朝廷軍に対して、1/10以下の勢力で戦いを挑みエミシ勢力を勝利に導いた英雄
アテルイの故郷、岩手県、胆沢の朝
もしアテルイがいなければ、東北勢は朝廷勢力に屈する一方だったかもしれない
理不尽な要求に対してなくなく従うのではなく、抵抗する歴史を創ったのがアテルイ
そもそもどうして東北は攻められなければならなかったのか
それには、当時の日本社会とエミシ、東北の関係を理解する必要がある
エミシの置かれていた状況
西暦700~800年頃の”日本社会”において東北勢、エミシが置かれていた状況
見方によっては奴隷のような状況ともいえる
当時東北の地に住んでいた多くの人たちが日本各地に強制的に移住させられている
間違いを恐れずに表現するならば、当時、東北の地は、日本ではなかった
京の都に住む人から東北を見たとき、それは未開の地であり、野蛮な人たちが住む土地であった
(青森、下北半島、恐山)
京の都は東北の脅威を意識して造られた都市だった。遠い東北に暮らす蝦夷は、都の民には実態が分からない。だから、いくらでも恐ろしい蛮族だと宣伝できる。とにかく獣のように凶暴な者たちだというイメージが都人に刷り込まれていった。
(「東北・蝦夷の魂」高橋克彦著,p,66)
もちろん、これは都からの視点であって実際は都の人と何ら変わることのない、”日本人”である
(当時すでに日本には複数の民族が入り混じっているため、東北の多数を占める人たちと京の都の多数を占める人たちは厳密にいうと、民族的には異なる部分があるが現代の”日本人”としてのくくりは同じ)
東北を表現する言葉に ”みちのく” という言葉がある
道の奥という意味
道とは何か
「道」とは「国」のことである。政治的に組織された範囲をいう。政治がそこまで及びえず、国になりえないまま、その外に放置されているから「道の奥」なのである。
(「東北の風土と歴史2」高橋富雄著,p,8)
少し整理すると、都の人から見たときの東北は
・野蛮な人が住む土地
・よく分からない未知の世界
・大和朝廷の支配が及ばない”日本の外”の世界
だからこそ大和朝廷は東北に勢力を伸ばし、政治に利用し搾取・征服の対象とした
(青森のねぶた)
ここに、大和朝廷による東北への大規模な戦争の歴史が始まる
(日本の中心勢力が東北に攻め入るという構図は少なくとも幕末、戊辰戦争の頃まで引き継がれていく)
いつの時代も、外の世界を国内の政治に利用するのは変わらない
(よくわからない外の世界の恐怖を利用して内部の政治を動かす)
たとえば当時、エミシの脅威はこのように使われていた
それまで古代日本の都は、転々としてきた。だが、桓武天皇は完全な都を築くために自身が遷都した長岡京をわずか十年で平安京へ移すことを決めた。しかし、反対が根強かったため、桓武天皇は蝦夷戦争の勝利と、遷都の宣言を同時に行う演出によって抵抗勢力を封じ、計画を押し通した。蝦夷にとっては侵略にほかならないが、「東北の犠牲があったからこそ、平安京は結果的に千年の都となった」と、近畿大推教授の鈴木さんは指摘する。
(「東北不屈の歴史をひもとく」岡本公樹著,p,91)
東北、エミシの脅威というものを理由に平安京への遷都は遂行された
そして、1000年以上を経た今でも京都として日本の中で重要なポジションを占めている
日本の歴史とエミシの関係
本来ならば京都を考えるとき、エミシを抜きにしてみることはできない
今回触れた歴史は1200年以上前の話だから、知らなくても困るものではない
しかし、こういった歴史が存在するということだけは知っておいてほしい
東北の犠牲があるからこそ今の日本がある
何度も何度も攻められて、それでも幾度となく立ち上がる、それが東北の歴史
日本の歴史からは切っても切り離すことが出来ない歴史
一般的な日本の歴史には出てこない歴史だけれど、東北に惹かれる私としては、大切にしていきたいもの
(あとがき)
今回は、アテルイ、エミシ、大和朝廷をキーワードに整理しました。またどこかで、なぜアテルイが圧勝できたのか、どうして最後には負けたのか、アテルイが後世に何を残したのかにフォーカスして書きたいと思います。
征討を終わらせたのは藤原緒嗣の徳政論によるものと考えられます。
延暦24年12月の条をお読みくださいませ。