2018
12
Feb

日本, , 歴史, 表現, 言葉

『アンパンマンに込められた想い~大正生まれの男たちと日本~』

 アンパンマンの作者やなせたかしと、もう一人の人物、中嶋秀次さんをテーマにした『慟哭の海峡, 門田隆将著』というノンフィクションを読みました。今回は、やなせたかしにフォーカスして、私なりに内容をまとめてみます。

 2人を結びつけるものは“バシー海峡”。フィリピンと台湾の間に広がる海域。この場所は太平洋戦争期、日本の船がアメリカの潜水艦によって多数沈められた場所。20万人近くが亡くなっている。やなせたかしの弟、柳瀬千尋もここで戦死した日本人の1人。軽い内容ではないので、丁寧に書きます。長文になるので、興味がある方、お読みいただければと思います。

―本文―

”子供たちのヒーロー、アンパンマン”

言わずと知れた国民的なキャラクター

 “勇気と希望”を与え続ける正義の味方

どうしてこの作品が生まれたのか

そこには“大正生まれ”という、やなせたかしが生きた時代が大きく影響している

作者、やなせたかし、大正8年(1919年)生まれ

“大正生まれ”が意味するもの

それは

太平洋戦争を、もろに経験しているということ

以下、本文から引用

『膨大な数の若者が太平洋戦争(大東亜戦争)の最前線に立ち、そして死んでいった。異国の土となり、蒼い海原の底に沈んでいった兵士たちの数は、実に230万人にものぼる。この戦死者の大半を占めていたのが、大正生まれの若者である。大正元年生まれは、昭和20年には33歳、大正15年生まれは、19歳となっていた。すなわち太平洋戦争は、大正生まれの若者たちによる戦争だったのである。大正生まれの男子の総数は1,348万人。そのうち「7分の1」にあたるおよそ200万人が戦死している。』

江戸、明治、大正、昭和、平成と続く時代の中で最も多くの犠牲を払った世代

太平洋戦争で戦って亡くなった人も、奇跡的に生きて帰った人も何らかの形で戦争を直接的に経験している

やなせたかしの弟千尋も、大正生まれで亡くなった200万人のうちの1人

アンパンマンとは、誰だったのか

若くして父を亡くしたやなせたかしにとって、2歳下の弟、千尋の存在は非常に大きな意味を持っていた

お互いが特別な絆で結ばれていた兄弟だった

ずば抜けて頭がよくて、運動ができて、人一倍優しかった千尋は、やなせたかしにとって自慢の弟だった

飛び級で進学して、京都帝大(今の京都大学)に合格した、弟、千尋

その後、海軍に入隊した千尋は、駆逐艦「呉竹」に配属された

そして、フィリピンと台湾の間に位置するバシー海峡を航行中、アメリカの潜水艦の魚雷攻撃を受けて命を落とした

当時、やなせたかしは、中国戦線に配属されていたため、弟の死は終戦後復員してから知ることになる

肉親を喪ったの者の悲しみの深さ

本の中にこんな言葉がある

『特に身内の不幸は、心に重く、暗い影を落とした。終戦の混乱のただなかでは気づかなかったが、ある程度我に返ってくると、身内がいないことの喪失感がじわじわと心の底から沸き起こってくるのである。(中略)それが、300万を超える人々が死んでいったという「現実」を受け止め、生きていかなければならない者の戦後であった。戦争の傷痕は、愛するものを失った“残された者”に、いつまでも深く、重く、とどまりつづけたのである。

やなせたかしが、ずっと、心の中に抱え続けたもの

弟の死

その悲しみを抱え続けたやなせたかしが、晩年になって生み出したもの

それが

アンパンマン

自分の顔を切り取って分けて、困っている人を助けるという、よく考えるとちょっと変わったキャラクター

当時、アンパンマンのアニメ化の話が出たとき、テレビ局の上層部は、ほとんど誰も成功するとは思っていなかった

本の中には、やなせたかし自身も「どうせだめだろう」と仰っていた、という言葉が載っている

結局、アニメ化の話が出てから実際に放映されるまで、数年を要した

ふたを開けてみると、周囲の予想を裏切って空前の大ヒットとなった

どこかで子供たちを惹きつけるものがあったのがアンパンマン

最初にアンパンマンを“発掘した”日本テレビの武井さんという人がいる

まだ、アンパンマンが全く無名だった頃、たまたま子供の幼稚園の参観日に行った時“偶然にも”アンパンマンの絵本と、武井さんが出会うことになる

以下、本文から引用

どうして、これだけがこんなに汚れているんですか?」武井は、幼稚園の先生に尋ねてみた。「ああ、これですか。これは子供たちに大人気の絵本なんですよ」若い先生は、そう答えてくれた。「みんなが、とっかえ引っかえページをめくって、もう、手垢がついちゃっているんですよ。」ああっ…。武井はその瞬間、“何か”を感じた。(後略)

そして、武井さんが一所懸命に各所に働きかけて、アニメ化が実現することになる

こうして、アンパンマンは日本中の子供たちの元に、テレビを通して届けられることになる

最初、大人には全く理解されなかったけれど、子供たちには分かっていた“何か”

やなせたかしがアンパンマンに込めた想い

大切な弟を失って、戦争を経験したやなせたかしだからこそ、表現できたもの

自分を後回しにしてでも、誰かを助けること

アンパンマンとは誰だったのか

本の中の最後の方にこんな言葉がある

『歴史の礎となって死んでいった日本の若者たち。太平洋戦争で大正生まれの男子、1348万人の内、実に「7人に1人」にあたる約200万人が戦死している。生きることを拒絶され、若くして世を去らなければならなかった若者たちの無念はいかばかりだっただろうか。焦土と化した日本を復興させ、そして、“二十世紀の奇跡”と呼ばれた高度経済成長を成し遂げたのも、彼ら大正生まれの人々である。戦争中は、突撃、突撃を繰り返し、戦後は黙々と働き続けた大正生まれの人々は、いわば「他人のために生きた人たち」である。アンパンマンはいったい誰だったのか。おそらくそれは、やなせたかし本人にも、わからないのではないだろうか。しかし、そのヒーローが、弟をバシー海峡で喪い、自身も大正生まれであるやなせでなければ、生み出すことができなかったものであることは間違いない。永遠のヒーロー「アンパンマン」は、今、人生を終えようとしている大正生まれの男たちそのものなのだから。

大正生まれの人たちは、もうほとんど生きてはいない

敗戦後の大混乱の中、焼け野原となった日本を、ただひたすらに、がむしゃらに働いて、高度経済成長まで成し遂げ、次の世代に何かを託して、この世を去っていった大正生まれの先人たち

やなせたかしもその1人

今の日本があるのは、少なからず、その大正生まれの人たちの頑張りによるところが大きいのだと思う

今回、やなせたかしとアンパンマンを通して、それを知ることができた

やなせたかしが生み出した、アンパンマンは、これからもたくさんの子供たちに、勇気と希望を与え続ける

やなせたかしの想いは、アンパンマンを通して、たくさんの人の心へと届いてゆく

今まで知らなかった、日本の歴史

誰が今の日本をつくったのか

ついつい、”豊かな日本”が当たり前であるかのように感じてしまうけれど、そうではなくて、誰かが頑張ってくれたおかげで今の日本がある

今まで全く見過ごしていた“大正”という一つの時代

忘れてはいけない日本の歴史

心の中にとどめておきたいなと思います

今回読んだ本の中には、もう一つ大切なストーリーが書かれていた。バシー海峡で亡くなった人たちの慰霊のために、人生をかけて、台湾の地に寺院を建設することに奔走した中嶋さんのお話。日本と台湾の関係を知る上で、これもまた大切な歴史だと思う

中嶋さんの話、今回は書かなかったけれど、またどこかで書けたらなと思います

(終)

本の内容をブログに書くということは、今まであまりしたことがなかったけれど、今回の内容はとても大切だと感じたので書いてみました。ほとんど学校では教えてくれなかった日本の近現代史。幕末、明治、大正、昭和の時代の日本。知らなくてもいいのかというと、そうではないと思う。少なくとも、私にとっては知るべき歴史のように思う。ここ2年ほど、ひたすら日本の歴史を追いかけています。明らかに、表から消されている歴史もたくさんある。歴史を知ることは、大切な何かを取り戻すことだと思う。写真も大好きですが、言葉を紡ぎ出すことも好きなので、書くこともあわせてやっていきたいなと思います。

 

コメント

    • moriyuh
    • 2020年 2月 25日 12:11am

    アンパンマンのテレビアニメ・漫画・絵本シリーズは原作者のやなせたかしさんがアメリカの漫画・テレビアニメのスーパーマン・円谷プロさん・円谷英二さんが制作した実写版特撮ヒーローテレビドラマ初代ウルトラマンをヒントにした影響が大きいと思いました。特に、アンパンマンとばいきんまんの確執・対立は初代ウルトラマンと初代バルタン星人(ミンミンゼミ・アブラゼミの様な顔(黄色く光る目)+ザリガニ・ロブスターの様な鋏をした青・水色の宇宙人)に似ていると感じます。

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