どうして東北には、強く魅力的な人ばかりいるのだろうかと不思議に思う
理不尽に立ち向かい、己の信じるもののために命を懸ける大将たち
”どうしても曲げてはいけないものがある”
それを、己の生き様を通して数百年の時を超えて語りかけてくれているように感じる
いつの世にも理不尽はある
誰もが力に屈し、その理不尽を受け入れる中、真っ向から立ち向かう人物がいる
歴史を知っていくと、なぜだか東北には、そんな人物が多いことに気づく
圧倒的に大きな器を持った人間
今回知ったのは、戦国時代の東北に生きた、ある1人の男の話
時は、1591年
豊臣秀吉が天下を統一した直後の日本
東北の地に1人の男がいた
九戸政実(くのへまさざね)
南部藩、九戸城主(今の岩手県二戸にあった城)
生涯、1度として戦に負けることのなかった稀代の戦国武将
九戸政実最後の戦いが、秀吉勢との大勝負
迫りくる秀吉勢10万の大軍に対して、わずか5千の兵力で挑んだ九戸政実
そして、圧倒的な強さで負けなかった
戦の舞台は九戸の本拠でもある、九戸城
初戦から、すべての攻撃をことごとく撃退していた九戸勢
しかし、
どんなに強い九戸党であっても、戦が長引けば数の力に屈することを分かっていた
だから、戦には圧勝していたが、九戸政実は自らの首を差し出した
“降伏すれば仲間の命だけは必ず助ける”という秀吉勢の言葉を信じて
そして皆、助かるはずだった…
しかし、秀吉勢は、その九戸政実の命を懸けた想いを裏切って、武器を捨て門を開放した九戸城になだれ込んで、助けると約束した人々を皆殺しにした
(このあたりの史実は正確には不明。ただ、秀吉勢が約束を守らず攻撃を仕掛けたことは事実)
結局は仲間ともども、九戸政実も斬首されてしまうことになる
これが、最近知った東北の忘れてはならない歴史
なぜ、九戸政実は圧倒的に不利な状況と分かっていながら、あえて戦いを挑んだのか
「手前がおらなくなったとしても戦さは続こう。秀吉の政には人の道がない。力で圧するばかり。それに対して抗う者がきっと出る。これは手前で終わる戦さにあらず。手前こそはじまり。秀吉の天下は手前とおなじ心を持つ者の手によって覆されよう。」
「天を衝く 秀吉に喧嘩を売った男 九戸政実(3)高橋克彦著」より引用
秀吉が成し遂げた功績は、日本史上においては確かに大きいのかもしれない
しかし、秀吉によって命を落した者や涙を流した者も、また無数にいる
九戸政実は“それを許してはならぬ”と、己の生き様をかけて日本中に示した
結局、九戸党はこの戦いを機に滅亡することになる
勝者の歴史の裏には同時に、見過ごしてはならない歴史がある
どうも東北には、数百年おきに同じような歴史が繰り返されているように感じる
(西暦,約800年)坂上田村麻呂がアテルイとの戦いに勝利した時も
(西暦,約1200年)源頼朝が奥州藤原氏を滅ぼした時も
(西暦,約1600年)豊臣秀吉が九戸政実を打ち破った時も
(西暦,約1870年)明治新政府に戦いを挑んだ東北の諸藩の命運も
東北には見過ごしてしまうには、失ってしまうには、あまりにも惜しい歴史が無数にある
個人的に東北への思い入れが強くなっているから、そういった歴史にフォーカスを当てたくなるのかもしれないが、それでも日本の他の地域よりも抵抗の力が強いように感じる
圧倒的な強者に立ち向かう東北の歴史
歴史を知っていくと、去年私が東北を旅した時に感じた底知れない深さや強さが、歴史の中にも眠っていたことが分かってくる
時を超えて受け継がれる何かがある
大きな生き方を示した先人たちの生き様を知ると、人としての己の小ささがよくわかる
東北に惹かれるのは、器の大きな人が多いからなのかもしれない
また1つ、埋もれかけていた東北の大切な歴史を知ることができた
暖かくなったら、九戸城跡にも足を運んでみたいと思う
(終)
今回紹介した、九戸政実の本が2018年、最初に読み終えた本になります。今年も去年に引き続き、旅をしながら東北や日本の歴史を探っていきたいと思います。ブログにまとめるのはなかなか気力がいることだけれど、また書きます。誰かにとって、この文章が力となることを信じて。
(追記)2019/10/25
2019年7月に念願かなって、九戸城を訪れることが出来ました。立派なお城でした。またどこかで記事にしたいと思います。
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